ファン・ジニ「青山裡碧溪水」
古くから美人は東洋では楊貴妃を、西洋ではクレオパトラをあげています。それでは朝鮮の美人といえば果たして誰を思い浮かべるでしょうか。おそらく朝鮮時代(16世紀)の最高の芸者であるファン・ジニ(황진이)を挙げることができるでしょう。身分が低いといわれた芸者、女性の傍ら詩、音楽、絵画に優れた才能に恵まれ朝鮮時代を体表する芸術家として今でも愛されています。今回は彼女の詩が生まれて来た面白いエピソードとともに彼女の人生観、恋愛観を詩を通して味わってみることにしましょう。 |
황진이 「청산리벽계수」
靑山裡碧溪水莫誇易移去:청산리 벽계수야 수이 감을 자랑 마라
一到滄海 不復還 : 일도창해(一到滄海)하면 다시 오기가 어려우니
明月滿空山暫休且去若何 : 명월이 만공산(滿空山)하니 쉬어간들 어떠리
靑山裡碧溪水莫誇易移去:청산리 벽계수야 수이 감을 자랑 마라
一到滄海 不復還 : 일도창해(一到滄海)하면 다시 오기가 어려우니
明月滿空山暫休且去若何 : 명월이 만공산(滿空山)하니 쉬어간들 어떠리
ファン・ジニ「青山裡碧溪水」
青い山奥を流れる清い小川よ 早く流れて行けると自慢しないでください
一度青い海に着いたら、二度とこちには戻って来れないですので
明るい月が山を照らす今夜、一時休んで旅立つのもいいじゃないですか。
青い山奥を流れる清い小川よ 早く流れて行けると自慢しないでください
一度青い海に着いたら、二度とこちには戻って来れないですので
明るい月が山を照らす今夜、一時休んで旅立つのもいいじゃないですか。
■詩に関わるエピソード及び解説
ファン・ジ二と碧渓守とのエピソードは徐有英(1801~1874)の錦渓筆談に詳らかに伝えられています。
この詩歌は王様の親族である碧渓守(ビョク・ゲス)と発音が同じな「碧渓水」の単語とファン・ジニの芸者名である「明月」を組みこんだメタファーで碧渓守を誘惑するために詠じた詩です。
ファン・ジニは松都(송도;今の北朝鮮の開城)の有名な芸者で美貌と伎芸が優れて、16世紀朝鮮の両班(支配層)の間では彼女と一晩を過ごしたことが上流社会の男としての大きい名誉だと思われるぐらいでした。
ある日、王族である碧渓守(ビョク・ゲス)という人がファン・ジニに会うのを願ったのです。しかし「風流名士」ではなければ相手にしてくれない噂を聞いて、ファン・ジニをよく知っている友達の李逹(イ・ダル)に方法を聞きます。
李さんは「ファン・ジニは琴をよく演奏するし、聞くのも好きだから ファン・ジニの家の近くの樓で琴が上手な人に演奏させ、お前はその音楽を楽しみながらお酒を飲んでるふりをする。多分、その音楽に感動してファン・ジニが出てくるからその時、彼女には興味がないふりをしてそのまま馬に乗って帰るんだ。そうすればファン・ジニがついて来るはず。近くの吹笛橋を越えるまで後を見回らなければ成功だろう。」と教えてくれたのです。
碧渓守がその知恵を借りてその通りやって見たらやはりファン・ジニが現れて、碧渓守は帰る振りをして馬に乗りました。彼の名前を聞いたファン・ジニは碧渓守の後ろ姿を見ながら彼を誘惑するため詩を詠じたのが有名なこの詩です。内容は「無限な自然に比べてわれらの人生は短くて空しいだから二度と来ない今日を私とともに詩と音楽を楽しみながら過ごしたらどうですか?」と素適な曲調を付けて歌で誘惑してみるののです。
この詩を聞いた碧渓守は友達との約束も忘れて彼女の美しい声に魅了されて、つい後ろを振り向いてしまいました。その時、間違って落馬してしまい、それを見たファン・ジニが笑って「この人は名士ではなくただの名士の振りをして女遊びが好きな人だね」と言いながら帰りました。後ででこのエピソード朝鮮両班の間で笑い話になったといいます。この詩は今でも高校の教科書に載って人生の空しさを描いた朝鮮の体表的な詩として愛されています。もちろん碧渓水はあの世でも非常に恥ずかしく悔しいと思うはずですけど・・・。
수이 감을 : 쉽게 가다の古い言い方。早く流れることを 자랑마라 : 자랑말아라 自慢しないで 푸른 바다에 이르다 : 푸른바다青い海/이르다辿る、着く 빈 산 : 動詞)비다/空である。空いてる 쉬어간들 : 쉬어간다 한들 休んでいったとしても
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