韓国の銭湯(목욕탕)文化
ある西洋人が書いた本の中に「日本でのホームステイ先で、ホストにいじめられて、悲しくて家族に手紙を書いた。」というのが載っていました。どういうことかと、本をよく読むと、日本人の家族がお湯に入った汚いお湯の中に自分も入るようにと言われ 嫌がらせをされているという内容でした。日本では当たり前だけど、習慣を知らない西洋人には嫌がらせだと思ったらしいのです。私も本の知識でしか知らないから、日本の家庭のお風呂文化は本当かどうか想像するだけで不思議な感じがするのが事実です。では、韓国のお風呂の文化はどうなっているか見てみましょう。 |
日本のテレビで韓国女性は美肌が多いと紹介される場面がよくあります。私の妹を見ても化粧を全然しなくても肌が綺麗なので、どうしてなのか聞いて見ると、銭湯によく行くからだと言います。それで私も妹と一緒に最近人気がある現代版銭湯に行ってみました。チムジルバン(찜질방)という直訳すると「蒸し部屋」で、日本のサウナみたいなところで、韓国人が大好きでよく集まる場所の一つです。ここ数年前までは、住宅地に銭湯(モギョクタン:목욕탕)が たくさんありましたけど、このチムジルバン(찜질방)の人気に押されて、段々消えています。チムジルバンは24時間営業するところで、高級サウナ施設があり、昼間は主婦たち、夜はサラリーマンたちの社交場になっています。私が行った時も男たちが女性グループに飲み物をおごってナンパするのを目撃しました。若い恋人たちがここでデートをするようにもなっているようです。エステ室やマッサージ室、食堂、休憩室もあって、インターネットもできますから1日楽しく過ごせるには間違いないです。値段も3,500ウォン~1万ウォンまで施設によって値段も変わりますが、安いので行ってみてください。
そして、ちょっと前まで銭湯(モギョクタン:목욕탕)に行くと必ず隣りの知らない人に「背中を擦ってください」とすぐ言われます。これが韓国では普通で全然知らない人と交代で背中をお互い洗うわけです。最近はどうなってるのか分らないですけど。
では、時代によって変わってきた韓国のお風呂文化を見てみましょう。
■時代による韓国のお風呂文化
1.新羅時代(AD676~AD935)
仏教国家で貴族たちの家でも お風呂があったといいます。お風呂場で使う香料もあったそうです。仏教が広まり、お寺が建てられたと同時にお寺の中にもお風呂場ができました。不思議と思いますが祭礼的意識としての性格が強く、お風呂は身を綺麗にすることだけではなく、心を洗う場所として存在したのです。
2.高麗時代(AD918 ~AD1392)
高麗の人たちは新羅の人たちより、もっとお風呂を楽しんだと言われています。一日に三、四回お風呂を楽しみ、お寺だけではなく大きい川や川辺りでも男女が一緒にお風呂に入ったという「高麗圖經」の記録があります。
3.朝鮮時代
朝鮮時代に入ってからは、儒教的な風習によってお風呂文化は衰退します。儒教では肌を露出しないように硬く禁じられていました。賎民は小川の水で洗って、両班たちは一人で風呂に入る時でも、服を着たまま必要な部分のみを洗ったといいます。沐間桶と言う木で作った丸い浴槽を奥座敷や広間に入れ、お使いさんが運んで来た水を振りかける方法だったようです。
4.近代
植民地の時、日本人によって1920年 6月 4日平壌に銭湯が初めてできましたが、儒教的風習に反することから、韓国人は荒荒しく反発したといいます。しかし5年後の1925年にソウルに銭湯ができて、徐々に銭湯が根付くようになりました。その後1970年代アパートの普及が拡散しながら、少しずつ経済の余裕と共に清潔と治療(疲労回復)としての銭湯が利用され、最近は健康と美容のための大規模の機能性銭湯が増えるようになりました。
そして、ちょっと前まで銭湯(モギョクタン:목욕탕)に行くと必ず隣りの知らない人に「背中を擦ってください」とすぐ言われます。これが韓国では普通で全然知らない人と交代で背中をお互い洗うわけです。最近はどうなってるのか分らないですけど。
では、時代によって変わってきた韓国のお風呂文化を見てみましょう。
■時代による韓国のお風呂文化
1.新羅時代(AD676~AD935)
仏教国家で貴族たちの家でも お風呂があったといいます。お風呂場で使う香料もあったそうです。仏教が広まり、お寺が建てられたと同時にお寺の中にもお風呂場ができました。不思議と思いますが祭礼的意識としての性格が強く、お風呂は身を綺麗にすることだけではなく、心を洗う場所として存在したのです。
2.高麗時代(AD918 ~AD1392)
高麗の人たちは新羅の人たちより、もっとお風呂を楽しんだと言われています。一日に三、四回お風呂を楽しみ、お寺だけではなく大きい川や川辺りでも男女が一緒にお風呂に入ったという「高麗圖經」の記録があります。
3.朝鮮時代
朝鮮時代に入ってからは、儒教的な風習によってお風呂文化は衰退します。儒教では肌を露出しないように硬く禁じられていました。賎民は小川の水で洗って、両班たちは一人で風呂に入る時でも、服を着たまま必要な部分のみを洗ったといいます。沐間桶と言う木で作った丸い浴槽を奥座敷や広間に入れ、お使いさんが運んで来た水を振りかける方法だったようです。
4.近代
植民地の時、日本人によって1920年 6月 4日平壌に銭湯が初めてできましたが、儒教的風習に反することから、韓国人は荒荒しく反発したといいます。しかし5年後の1925年にソウルに銭湯ができて、徐々に銭湯が根付くようになりました。その後1970年代アパートの普及が拡散しながら、少しずつ経済の余裕と共に清潔と治療(疲労回復)としての銭湯が利用され、最近は健康と美容のための大規模の機能性銭湯が増えるようになりました。
여성전용 찜질방도 있어요?
女性専用の蒸し部屋もありますか?
맛사지도 받을 수 있어요?
マッサージも受けることができますか?
女性専用の蒸し部屋もありますか?
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マッサージも受けることができますか?
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